中学生コース




 ぱいでぃあ中学生コース

※中学生コースについて


今までも活動風景から

フリースクール・ぱいでぃあのコース
週5日コース 月曜日〜金曜日 13:00〜16:00
週3日コース 月曜日〜金曜日 13:00〜16:00
週1日コース

週1日コースは週3日、5日に変わるまでの暫定的なコースです。
出来るだけ週3日、5日のコースをお選び下さい。
  
月曜日〜金曜日 13:00〜16:00 

※1日からでも可。その時はご相談を

※カリキュラム・料金等については「
総合パンフレット」をご覧ください。

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※中学生コースについて

子ども達の割合が圧倒的に多いのが中学生です。思春期に差し掛かった子ども達が自立した人間として生きていく上で一番悩み苦しむのがこの時期です。でも、そういう個々人の思いに詰め込みを主とする日本の学校がどれだけ応えられているでしょうか。結果として、学校に自分の受け皿や居場所を見い出せず不登校となる比率は、中学生がとても高いのです。
 
▼長年不登校の子ども達と接して来て、次第に分かって来たことがあります。実は中学生の不登校は中学に入ってから、小学校時代とはずいぶん違う対応などに戸惑って急に発現するようなものではないのです。それは小学時代のかなり早い段階からそういう徴候があったという場合がとても多いのです。つまり、中学校で不登校になったのだから中学校での対応が変わってくれれば不登校にはならなかった、というような単純な事柄ではないということです。
 
▼子どもが不登校になるには確かに何かのきっかけがあります。もちろん、それが必ずしも不登校の原因ではない場合が多いのですが、同時に、当たらずとも遠からずとでも言いましょうか、それが決して全くの的外れでもないということも言えそうです。確かにそれが引き金にはなったのです。他の子であれば--鈍感であるような場合も含めて--多分不登校にはならなかったはずなのに、なぜ我が子の場合は不登校となってしまったのか、とは考えられそうです。そして、不登校になるには環境的な要因もあれば個人的要因も多分にあることが多いのです。
 
▼ただ、ここで誤解のないように言って置きたいのですが、私どもは不登校になるということは必ずしもマイナスのことだとは思っておりません。以前にぱいでぃあのイベントでも言わせていただきましたが、タレントや俳優、作家、研究者、ノーベル賞受賞者等、個性的な人には驚く程不登校体験者が多いということです。学校が合わなかった、先生を好きになれなかった、気心の知れた友達がいなかった、誰も自分を理解してくれなかった…等々、その理由には枚挙がありません。そういう個性を持った人はなかなかその他大勢に和することができないのです。

▼しかし、その同じように特徴的な個性を持った子が、一方では華々しい活躍をしたり、世間で持て囃され注目されたりするのに、他方ではそれを変わったもの、外れたもの、矯正しなければならないものとして否定され治療さえさせられる。この差はどこから来るのでしょう?もしかしてそれは本人の個性の問題ではなく、そういう個性を周りの人間たちがどう評価しどう接するかにもしれません。実際に薬に頼らざるを得ないようなケースも多々あり一概には言えませんが、常識的な観点から外れた者が必ずしもおかしいわけではないという視点は絶えず持ち続けていたいものです。子ども達のには自分を理解してくれる人と環境とが不可欠なのです。
 
▼幸い、フリースクール・ぱいでぃあという場は、他では充分生かされないそういう子どもたちの才能を惜しんで設立したという側面もあります。たとえば障害のある子ども達を救済するフリースクール等がある中で、ぱいでぃあというフリースクールをあえて設立したのは、金太郎飴的な平均的個性を基準とする学校という枠組みから零れはみ出し、充分評価されることのないような個性を支援したいという思いがあったからです。世間一般で見られるような「不登校」という枠を設けて子どもたちを評価するようなことは敢えてしません。一つの基準ではなく多様な評価の視点を持ちたいと思っています。
 
▼ここフリースクール・ぱいでぃあに集うのは何かの縁があってやって来た子どもたちです。まだ微々たるものですが、今までの日本の学校教育の方法の転換を図りたいものです。子どもたちの勉強のスタイルを今までの教師が主体となる《教え→覚える》方式から子ども主体の《自ら考え自ら解く》方式へと、学びの転換を図りたいのです。自ら問い自らその解を導き出す--基本的にそういう方法です。もはや勉強するとは性能のいい記憶マシーンになることではないのですから。その場合、教師はこれから新しい命を産み落とす産婆的役割かもしれません。
 
▼教師の役割の転換が求められています。教師は教えるプロであるというのはも過去の遺物。現代の学びには現代にあった教育法が必要です。今後、教師はむしろ全体を見渡せる指導者、コーディネーターであるべきです。もちろん、従来の教師と同じくプロとしての力量は当然要求されます。また、教科書という概念もここ数年でこのデジタル時代に合わせて大きく変わります。今やそれに相応しい指導法と学びの方法の確率こそが急務です。ぱいでぃあではその学びを子ども達と実践して行きたいと思っています。

※もっと詳しくお知りになりたい方は是非ご連絡ください。