《鉄道博物館を体験して》 2013/01/31

 鉄道博物館二階から  シリンダー部分  角のない丸い石はダメよ  車輪のつくり

鉄道博物館は、大宮駅のニューシャトル口から乗って一駅目。それなのに南浦和駅から大宮駅まで160円なのに180円もとる。《わざわざ鉄道博物館に行くんだよ。ぼったくりじゃない?》とも思う。近代システムを売りのはずのニューシャトルだが、《遅い、高い、駅があり過ぎ》とすこぶる評判が悪い。それに高圧電線が向き出しで近くにあり、《触るな!》と注意書きはあるものの、視覚障害者等にはとても危ない。都内の電車ホームのように線路とホームの間の隔壁もない。小さな子どもの視点で見れば(小学一年生も連れて行った)電車とホームの隙間が広くて乗降にはとても怖い。

いわゆる学校教育的お勉強には全く属さないが、座学を中断しひとたび教室外に出れば、そこが子どもたちの社会学習の場となる《教科書だけが学びじゃない》というのはそういうことであり、教師自身が教科書や指導書からは正答を仕入れられない社会的観察眼をどれだけ持っているかも試される。そういう視点がなければ教師は子どもたちに具体的に何も教えられないし、子どもに問題意識も生まれない。だが、子どもにとっては改札口を出入りする、切符を買いそれを使う、スイカをチャージし残高を見る、電車内ではどう振る舞うか、優先席とは何か、空いている時はどうするか、疲れた若者は座っちゃいけないのか、改札口で引っかかったがどうしてか、等々…。社会に一歩入れば、ルールがあり、習わしがあり、自由に判断してやっていいこと、明文化された禁止事項もあれば、不文律もある。それらすべてを子どもは学習しなければならない。それはとても大事な教育なのだ。

▼鉄道博物館はもと東京都内の万世橋にあった施設を2007年にさいたま市に移転したもの。さいたまに住む住人にとっては馴染みの施設なので、既に何回か家族等で行った子もあれば、今回初めての子もいる。年齢も違えば興味の持ち方も違うだろう。そこでまず見る前に、自分なりの視点で体験を切り取り、それを体験談として語って欲しいと伝えてあったただし頭で理解するのではなく、体験や実際の見聞や観察を通して感じて欲しいと。それを、見学のあった翌日に、《ぱいでぃあ活動》の残り時間に簡単に発表してもらった。鉄道の歴史に興味を持った人、シリンダーの働きとか動力に興味を持ったとか、列車そのものや行動そのものに惹かれたとか色々出たが、やはり頭で理解するのと本物を体験する迫力は明らかに違ったようだ。実のところそういう実感を持つだけでもいいのだ。

残念ながら、一般に子どもの教育活動では本物に触れる活動は極めて少ない。ほとんどがコピーでありイミテーションの活動に過ぎない。子どもの遊びの多くが大人の仕事の真似であることとどこか似ている。しかし、それはある程度やむを得ないとしても(たとえば、少なくともかなりの長い時間沈黙を守れない子どもにクラシック・コンサートに連れて行くことはまず出来ない)、出来る範囲で本物に触れさせ体験させることはその子の成長にとってとても大事なことである。博物館や美術館、遠足等の自然体験、手作りものなどへの挑戦はその中でも比較的可能なことである。特に小中学の頃には知的な学習だけでなく受容体としての感覚の器作りがとても大切である。なるべくこういう活動を多く取り入れていきたいと思っている。