(2):思いを「脱・不登校」という具体的な行動へ

●不登校をいつまで見守ればいいのだろう!
 今の不登校の子ども達は、不登校になったからと言って、「大変だ」と思われてすぐに次の対処を迫られることはまずなくなった。それだけ不登校やその予備軍などの社会的認知も広まり、のんびりしていることができるようになった。家族や学校も社会も理解というか容認というか急な態度決定は迫らない。
 その分、見守る時間が長くなった。これが幸か不幸かは一概には言えない。ただその結果立ち直りが長引く人が多くなったのは事実のようだ。そのまま引きこもりに移行する人もかなりいる。親の会などでも8年、10年にして初めて自主的に動き出したという例も聞く。

●気を付けよう、甘い言葉と不登校の現実に
 かつて「不登校は子どもに問題がある」とされた。今、そういう乱暴な議論をする人は少なくなったが、不登校の本人やその家庭には「見守る」という名目でつい長引かせてしまう場合も多い。
 果たしてそれでいいのだろうか。もっと短期の立ち直りはなかったのかと思ってしまう。それでめでたく立ち直ったとしても、もう人生の盛りは過ぎ、その後の人生もおぼつかない。
 それにちょっと厄介だなと思うのは、社会の中に改革に情熱を注ぐどころか逆に一種の諦めの人生訓のようなものが支配していること。勿論、本人のせいだと安易に認めたりはしないが、また立ち直るための努力もしない。
 でも、不登校をどこかで断ち切るためには、その蟻地獄から立ち直る努力をしなければならない。よくその関係者が慰みか元気付けか「そのままいたっていいんだよ」と言う。だが、裏を返せばとても無責任なことば。業者にとってはいつまでも不登校でいてほしいのだ。

●「思いを行動に」---変わりたければ具体的に行動するしかない
 「いつやりますか?今でしょ!」というフレーズが前に流行った。それが受けたのは正にその通りだったから。でも、大抵の人は「言うだけ」で実際には動いていない。頭では分かっているのに動かない。物事を変えるには行動するしかないのに動かない。棚ぼたはないと分かっていて動かない。その結果、出てくるのは言い訳と愚痴と溜息ばかり。
 不登校の場合も大体同じだ。不登校であることでいろいろ言われるのは嫌だが、いつまでも不登校でいたいわけじゃない。できるなら早期に脱したい。でも、実際には一切具体的に行動はしない。抜け出すためには今の自分を変えなければならないが、変わるのは嫌だ、怖いと言う。
 そして、結局動かない&動けないことの言い訳を考える。変われないのも人のせいにする。それは必ずしも間違いではないこともある。でも、それでは自分は変われない。

●「お前はいったい何をしたいんだ?」---自分の花を咲かせるために
 自分は一体何をしたいんだろ?本当はどういう生き方をしたいんだろ?自分はどうなりたいんだろ?せっかく人間に生まれてきて、やる気にさえなればできるのに、人のせいにして自分で変わろうとしない。そういう不登校の子に明日はない。これは否定できない現実です。
 自分を活かそうよ。花を咲かせようよ!他人好みの花ではなくて、自分の望む花を咲かせようよ!自分は黄色い花なのに「赤い花よ咲け!」と水をくれる人もいる。でも、いいじゃない。みんな肥やしにして大きな自分の花を咲かせれないいんだから。

●不登校に子ども達、それぞれの自己実現---それが「ぱいでぃあ」の願い
 そのためなら喜んでお手伝いします。花を育てるのが好きだから。人の笑顔を見るのが嬉しいから。人が幸せになると自分も幸せな気持ちでいっぱいになるから。あなたも花を売って儲けて喜ぶ人よりも、花を育てて喜ぶ人に出会ってほしい。あなたの人生が変わるはず





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