心と頭脳と身体とのバランスを 
▼ 不登校の子どもたちの個性を生かす
 「不登校生」といえば世間では変わった目で見るかもしれないが、学校に行きたくなくなった、学校に行けなくなった…というような事情を別にすれば、何ら特別な子どもたちではない。敢えてその違いを強調すれば、みんな一緒ということには満足せず、少し感受性が強かったり、人よりも個性が際立っているということがあるかもしれない。
 が、それは決してマイナスに評価すべき要素ではない。むしろ、そういう個性の強さこそはこれからの子どもたちに求められるものでさえある。事実、そういう子どもたちは、様々な特筆すべき個性を持っていることが多く、育て方によってはそういう方面で大きく花開く可能性がないわけではない場合も多い。
 だが、そういう才能は今の学校教育の中ではなかなか評価されにくい。むしろ邪魔なものとして排除されたりもする

▼フリースクールで自己回復する子どもたち
 そういういろいろな軋轢があるからだろうか、精神的な悩みを抱えた形でやってくる子どももやって来る。中にはもっと早く来てくれたなら、ここまで悪化することはなかっただろうというケースもしばしば見られる。程度が悪化してから来たのでは、どうしても立ち直るまでに日数がかかってしまう。
 そこまで行っていなければ、スクールの中で心身を安らげるだけでなく徐々に活性化を図り、教科の学習もそれぞれに適合した形で行っていく中で、見る見る元気を回復していく

▼子どもの変化はじっくり見極めて
 だが、そのことで逆に親御さんは誤解されることが多いそのような表面的な変貌を本当の変化と錯覚し、もう元気になったから学校へ復帰させても大丈夫なのではないかと安易に考えてしまうのだ
 ちょっと待っていただきたい。そのように元気に振舞うことが出来るのはこのフリースクールにいるからなのだということが多いことを忘れないでもらいたい。本人が元気になれる環境がここにはあったからなのである。
 もし、それが本当の回復だと考えて…本人は望んでいないのに…学校に戻したらどうなるか。以前と何ら変わらない現実がそこにあり、また同じことの来る返しが待っているかも知れない。

▼未来の自分は自分で決められるように
 本人にとってもといた学校に戻るということは---そう願っている子はとても多いのだが---そんなに容易な事ではないことを理解してほしい。ただし、それはそういう志向を否定しないし、出来るならそれがいい。しかし、学校に行かなかったら未来が開けないわけではない。
 むしろ、ここは腹をくくって、当面自分が集中できることに打ち込むことである。そうする方がずっと自分の進展に役立つ。そうすれば、かつては進むことも退くこともかなわず八方塞がりであったものが、いつの間にか出口の扉が開き、直ぐに進むもよし、今しばらくは留まるもよし、自分の選択次第で如何ようにも変わるであろう未来への道が続いていることを見出すであろう。その時、自分はどうしたいのか、自分で決めればいいのである。