----不登校の子がどこよりも早く元気になれるところかな----

●「ぱいでぃあ」は自信をなくし自己卑下でいっぱいになっている子ども達に、何はさておきまずは元気になってもらうことを目標にしています。いくら一人で頑張ってみても多勢に無勢、集団の力に負けてしまうのが普通です。ですから、大抵の場合、自分なりにいろいろ頑張ったけれども「もうダメ!」という状態でやって来ます。最初は宣伝で目移りしそうなところに行きがちですが、それでも何か納得が行かず、最後にやって来るというのがだいたいのパターンでしょうか。
だからでしょうか、「もう一度元気になりたい!」「本来の自分を取り戻したい!」という切なる願望が感じられます。

●でも、「元気になりたい!」ということでしたら、「大丈夫、お任せを!」。不登校の根本的な問題は学業不振ではなく、なんとかなりたいという気力が大きく失せてしまうこと。それは、学校という場が児童生徒のやる気を引き出すよりは、自分を断念させる方向に機能しているところにありそうです。「I'm different.]ということを「個性的で素敵」と見るのではなく「みんなに合わせられない外れもの」と見る…それが大方の日本の教育現場であり日本の社会の空気です。
でも、そこにそれを良しと認め受け入れる場があり、人がいる、環境がある…それが「ぱいでぃあ」です。

●不登校の子ども達はそういう所で自信を取り戻し、自分を肯定できるようになって初めて、学業に取り組み、進学や将来の夢を思い描くこともできるようになります。自分に目的が生まれ、その実現に向けて取り組むことができるようになった子には伴走者として関わればいいのです。選び、選択し、実際に取り組むのは本人。伴走者はそれぞれの発達に応じた適切に課題を提示し、時には共に考えて上げればいいのです(でも、それが出来る人がどれだけいるのだろう?)。決めるのが本人なら、その成果を得るのも本人なのです。

●そうすれば、小学生であればそのまま中学に進む学力も自然について来ますし、場合によっては私立中学受験も可能になります。中学生であれば学校以上に勉強が進み、全員進学の中で、進学校の私立受験や公立高校受験も可能にもなります。また、現在では不登校生のための民間の受け皿が随分整って来ましたから、最初から希望はしなくても最終的な高校選択に、民間の通信制サポート校をセーフティ・ネットとして活用することもできるようになっています。

●ですから、私達は学業の指導はもとより、それ以上に、それぞれの個性や特性を正確に捉え、まだ明確な形をなしていない可能性だけでなく、まだ表面にも現れてきていないような様々な可能性さえも的確に引き出すことに心血を注ぎます。その過程で心と身体は一体のものであることとか、不登校になった子どもに対して教師や親の多くが(多分心配してのことであろうが)「学校行かないでどうするの!」と不登校の様々なマイナス要因を並べ立てて非難するやり方が百害あって一理もないことも明らかになって行きます。
それが一時的なことか決定的なことかにかかわらず、その子が不登校を選択したことは「イエス」であると支援者や周りの応援者が思えるようになった時、その子は確実に自分の足で一歩を踏み出すのです。勉強云々の結果は、その後に自然と付いてくるものなのです。